ハイデルベルク信仰問答 [門54~74]
*Shalom Mission シャローム宣教会:http://shmission.com/xe/shalom_jp
問54 「聖なる公同の教会」について、あなたは何を信じていますか。
答 神の御子が、全人類の中から、御自身のために永遠の命へと選ばれた一つの群れを御自分の御霊と御言葉により、まことの信仰の一致において、世の初めから終わりまで集め、守り、保たれる、ということ。そしてまた、わたしがその群れの生きた部分であり、永遠にそうあり続ける、ということです。
問55 「聖徒の交わり」について、あなたは何を理解していますか。
答 第一に、信徒は誰であれ、群れの一部として、主キリストとこの方のあらゆる富と賜物にあずかっている、ということ。第二に、各自は自分の賜物を、他の部分の益と救いのために、自発的に喜んで用いる責任があることをわきまえなければならない、ということです。
問56 「罪のゆるし」について、あなたは何を信じていますか。
答 神が、キリストの償いのゆえに、わたしのすべての罪と、さらにわたしが生涯戦わなければならない罪深い性質をも、もはや覚えようはなさらず、それどころか、恵みにより、キリストの義をわたしに与えて、わたしがもはや決して裁きにあうことのないようにしてくださる、ということです。
問57 「身体のよみがえり」は、あなたにどのような慰めを与えますか。
答 わたしの魂が、この生涯の後直ちに、頭なるキリストのもとへ迎え入れられる、というだけではなく、やがてわたしもこの体もまた、キリストの御力によって引き起こされ、再びわたしの魂と結び合わされて、キリストの栄光の御体と同じ形に変えられる、ということです。
問58 「永遠の命」という箇条は、あなたにどのような慰めを与えますか。
答 わたしが今、永遠の喜びの始まりを心に感じているように、この生涯の後には、目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったような完全な祝福を受け、神を永遠にほめたたえるようになる、ということです。
問59 それでは、これらすべてを信じることは、あなたにとって今どのような助けになりますか。
答 わたしが、キリストにあって神の御前で義とされ、永遠の命の相続人となる。ということです。
問60 どのようにしてあなたは、神の御前で義とされるのですか。
答 ただイエス・キリストを信じる、まことの信仰によってのみです。すなわち、たとえわたしの良心がわたしに向かって、「お前は神の戒めすべてに対して、はなはだしく罪を犯しており、それを何一つ守ったこともなく、今なお絶えずあらゆる悪に傾いている」と責め立てたとしても神は、わたしのいかなる功績にもよらずただ恵みによって、キリストの完全な償いと義と聖とをわたしに与え、わたしのものとし、あたかもわたしが何一つ罪を犯したことも罪人であったこともなく、キリストがわたしに代わって果たされた服従をすべてわたし自身が成し遂げたかのようにみなしてくださいます。そして、そうなるのはただ、わたしがこのような恩恵を信仰の心で受け入れる時だけなのです。
問61 なぜあなたは信仰によってのみ義とされる、と言うのですか。
答 それは、わたしが自分の信仰の価値のゆえに神に喜ばれる、というのではなく、ただキリストの償いと義と聖だけが神の御前におけるわたしの義なのであり、わたしは、ただ信仰による以外に、それを受け取ることも自分のものにすることもできないからです。
問62 しかしなぜ、わたしたちの善い行いは、神の御前で義またはその一部にすらなることができないのですか。
答 なぜなら、神の裁きに耐えうる義とは、あらゆる点で完全であり、神の律法に全く一致するものでなければなりませんが、この世におけるわたしたちの最善の行いですら、ことごとく不完全であり、罪に汚れているからです。
問63 しかし、わたしたちの善い行いは、神がこの世と後の世でそれに報いてくださるというのに、それでも何の値打ちもないのですか。
答 その報酬は、功績によるのではなく、恵みによるのです。
問64 この教えは、無分別で放縦な人々を作るのではありませんか。
答 いいえ。なぜなら、まことの信仰によってキリストに接木された人々が、感謝の実を結ばないことなど、ありえないからです。
問65 ただ信仰のみが、わたしたちをキリストとそのすべての恵みにあずからせるのだとすれば、そのような信仰はどこから来るのですか。
答 聖霊が、わたしたちの心に聖なる福音の説教を通してそれを起こし、聖礼典の執行を通してそれを確かにしてくださるのです。
問66 礼典とは何ですか。
答 それは、神によって制定された、目に見える聖なるしるしまた封印であって、神は、その執行を通して、福音の約束をよりよくわたしたち理解させ、封印なさるのです。その約束とは、十字架上で成就されたキリストの唯一の犠牲のゆえに、神が、恵みによって、罪の赦しと永遠の命とをわたしたちに注いでくださる、ということです。
問67 それでは、御言葉と礼典というこれらの二つのことは、わたしたちの救いの唯一の土台である十字架上のイエス・キリストの犠牲へと、わたしたちの信仰を向けるためにあるのですか。
答 そのとおりです。なぜなら、聖霊が福音において教え聖礼典を通して確証しておられることは、わたしたちのために十字架上でなされたキリストの唯一の犠牲に、わたしたちの救い全体がかかっている、ということだからです。
問68 新約において、キリストはいくつの礼典を制定なさいましたか。
答 二つです。聖なる洗礼と聖晩餐です。
問69 あなたは、聖なる洗礼において、十字架上でのキリストの唯一の犠牲があなたの益となることを、どのように思い起こしまた確信させられるのですか。
答 次のようにです。キリストがこの外的な水の洗いを制定された時約束なさったことは、わたしたちがわたしの魂の汚れ、すなわち、わたしのすべての罪を、この方の血と霊とによって確実に洗っていただける、ということ。そして、それは、日頃体の汚れを落としているその水で、わたしが外的に洗われるのと同じくらい確実である、ということです。
問70 キリストの血と霊とによって洗われるとは、どういうことですか。
答 それは、十字架上での犠牲においてわたしたちのために流されたキリストの血のゆえに、恵みよって、神からの赦しを得る、ということです。さらに、聖霊によって新しくされ、キリストの一部分として聖別される、ということでもあります。それは、わたしたちが次第次第に罪に死に、いっそう敬虔で潔白な生涯を歩むためなのです。
問71 わたしたちが洗礼の水によるのと同じく、この方の血と霊とによって確実に洗っていただけるということを、キリストはどこで約束されましたか。
答 洗礼の制定の箇所に、次のように記されています。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」、(「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣言を受ける」。)この約束は、聖霊が洗礼を「新たに造りかえる洗い」とか「罪の洗い清め」と呼んでいる箇所でも繰り返されています。
問72 それでは、外的な水の洗いは、罪の洗い清めそのものなのですか。
答 いいえ。ただイエス・キリストの血と聖霊のみが、わたしたちをすべての罪から清めてくださるのです。
問73 それではなぜ、聖霊は洗礼を「新たに造りかえる洗い」とか「罪の洗い清め」と呼んでおられるのですか。
答 神は何の理由もなくそう語っておられるのではありません。すなわち、ちょうど体の汚れが水によって除き去られるように、わたしたちの罪がキリストの血と聖霊とによって除き去られるということを、この方はわたしたちに教えようとしておられるのです。そればかりか、わたしたちが現実の水で洗われるように、わたしたちの罪から霊的に洗われることもまた現実であるということを、神はこの神聖な保証としるしを通して、わたしたちに確信させようとしておられるのです。
問74 幼児にも洗礼を授けるべきですか。
答 そうです。なぜなら、彼らも大人と同様に神の契約とその民に属しており、キリストの血による罪の贖いと信仰を生み出される聖霊とが、大人に劣らず彼らにも確約されているからです。それゆえ、彼らもまた、契約のしるしとしての洗礼を通してキリスト教会に接ぎ木され、未信者の子供たちとは区別されるべきです。そのことは、旧約においては割礼を通してなされましたが、新約では洗礼がそれに代わって制定されているのです。